雑記(電子工作とか小型船舶レジャーとか)

影の中の

 

学生時代に天体観測をやっていたことがある。

2022年11月8日は数百年ぶりに皆既月食と惑星食(天王星)が同時にあり、好天にも恵まれたので久方ぶりに双眼鏡やらカメラやら引っ張り出してベランダから空を眺めていた。

 

月食は英語で"luna eclipse" ,語源となったラテン語を調べたら、lunaはそのままluna、eclipseは "eclipsis"で、意味は「beeing absent」だった。なるほど不在か・・と、ラテン語の辞書(kindl版でなんと300円ぐらい)をめくって?いたら、「eclipse of the moon :laborans」というのが出てきた。 え?で「laborans」の方に行くと、laboro(本当はいくつか文字の上にフランス語でいうところの”~”みたいな記号がつく)の派生語で「take pains」となって、"laborans"自体では「toil(苦役)」のような意味らしい。

「不在」の方は月が主体的に居なくなる感じだけれど、苦役になるとネガティブな感じ、虐げられている感が出てくる(ラテン語の知識が皆無なのでつまり調べ方も良くわからない、以上誤りがあるかもしれないのでお断りしておきます)。

東方ではヒンズー経に面白い話が在って、不老不死の薬を作るために神と悪魔が協力した後、取り合いで戦になり、ラーフという悪魔の不死の首が、刎ねられた後も天空を飛び回り、月を隠すという。

月食と並んで語られる日食の方は、太陽と僕たちの星の間に月が入り込んで日を遮る。科学的,合理的な説明がされる今も、陰陽の由来ともなる二つが、奇跡的な偶然で同じ視直径(見た目の大きさ)を持つという事実を想うと、何やら因縁めいた物語ができるのも納得してしまう。

そんなことを思いながら、欠けていく月を双眼鏡越しと肉眼で交互に見ていたらふと、「ああ、夜っていうのは影なんだなあ・・」という思いがわいてきた。

僕たちが覆われているのと同じ、地球の影に月が飲み込まれていく。

戦いに明け暮れる戦国の人々が、こういう光景をどんな思いで眺めていたのかは想像もつかないけれど、世の中は今、似たようなものなのかもしれない。

「同じ太陽の下」という言い方をするけれど、「同じ影の中」というと複雑なニュアンスを感じるのは僕だけだろうか。

月はやがて細り、皆既となると今度は、光に隠れていた周りの微かな星たちが浮かび上がってくる。天王星がどれかは良くわからない。

皆既の間も月は赤い姿を現している。月を照らすのは、僕たちの星が発するわずかな光(地球照)だけだった。

 

~おまけ~

デジタルの200mm望遠レンズで欠けていく月の録画を試みたところ、光が弱くなると勝手にオートフォーカスが作動してピントがずれてしまい、定期的にボワッと光が滲んで奇妙な動画が撮れましたw。

 

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