経済・会計

やがて悲しき~World of Monetary Economy

 

人類は道具を持った時にはじめて人類になった。

経済人は会計という道具を持って経済人になった。なんなら経済活動をその名で呼ぶためには何らかの会計手法が必須だったといっても差支えないだろう。活動が頻繁かつ複雑になると道具もまた複雑になり、新しい活動が生まれたりその予兆があると、人々は整理をし、理解をしたくなる。そうして「学」の文字がついた。それは人類の歴史の中で比較的最近、悲しみのヴェールを纏って誕生した。

社会科学は自然科学と違い、人間やその塊の反応を対象にすることから特有のジレンマを抱えやすいし、人々もまた自然法則と社会科学の理論を混同し、過剰に反応する。それでも研究者たちは自然科学の方法論も借りて、何とか社会の行く末を合理的に説明しようともがき続けている。

中途半端に合理的で多分に感情的な僕たちの経済行動を、理論化した天才たちは、壁を超えるたびに悲劇的な事実を見出し、時に正反対(に見える)結論を導いた。いわく、

合成の誤謬:個別の利益(経済的な幸せ)の最大化が全体の幸せと一致しない場合がある(むしろ逆の場合がある)。あちら立てればこちらが立たない絶望的なバージョン。

ゲームの理論:全体が幸せになる方法があっても(それを知っていても)、相手がいると人はそちらに向かわない(こともある)。理想主義者が決して見たくない現実

キャッシュフロー会計と発生主義会計:資金の流れを見るのが大事か、価値の増殖を見るほうが大事か→いっそ両方か!かくして上場企業の有価証券報告書は分厚くなっていく。

 

~悲劇その1~

 

この記事を書いている2022年11月中旬、仮想通貨大手のFTXが”突然”破綻し、金融界隈に激震が走る。大リーグの大谷やテニスの大阪が宣伝に関わったという事で提訴されたみたいだ。僕たちの国の経済政策を顧みれば、財政支出をめぐって積極財政派と財政規律重視派の議論が喧しい。為替レートのボラティリティは知る限りでは歴史的な緊張状態にあって、久方ぶりのドル売り介入で150円LONGER(円売りドル買い)が一夜にして辛酸をなめた。大マスコミの情報しか手に入らない人々はニュースやワイドショーの解説ぐらいしか知らないから、相変わらず「円安困った」、「財政赤字大変」ぐらいの感想しか持っていないのもかもしらん。。でもね、もちろん話はそんなに単純じゃあない。

財政健全化の議論で言えば、国の財政が規律重視派の言うように破綻寸前なのかどうかは、国(政府)が日銀に対して負っている債務(日銀保有国債)がカウントされるか否か、会計的に言えば日銀を国の連結貸借対照表(バランスシート:B/S)に含めるか否かで見方が全然違ってくる。もし日銀を連結対象に含めると債務は相殺されて消えてしまうのだ。財務省公表の日本国B/Sでは日銀は連結対象になっていないので500兆円超の負債がそのまま計上されている。前に話題になった「日銀は政府の子会社か否か」っていう議論の会計的な側面がこれだ。

社会現象をめぐる学説は宿命的に思想をベースに持つ。人の塊がプレーヤーとなるビジネスに関してはそれが「経済社会はこうあるべきだ」という価値観にもなってくる。その最たるものに「お金:貨幣」の氏素性や振る舞いに対する根本的な位置づけの違いがあるみたいだ。

ビジネスも経済政策も実態を考えるために数字に落としこまれる必要がある。財政支出は○○兆円と具体的な数字で表されてこその予算で、A円とかB円とか言われても全く意味がない。そこには必ずMoneyが顔を出す。

普段僕たちは「お金(貨幣,MONEY)」という言葉の本当の意味をあまり深く考えない。例えば渦中の仮想通貨は、「通貨」というぐらいだからMONEYなのだろうか?

主流の経済学は暗号資産を今のところMONEYとは認めない。一般的な定義では貨幣について、①取引決済手段②価値測定尺度③価値保存手段 、の3点を満たすことを要件として、暗号資産はこれを満たしていないと考える。じゃあ楽天やアマゾンのポイントはどうだろうか?見た感じ条件を満たしているようにも思えるのだが。どうも現金と交換できないからだめみたいだ。っていうより今のところ考慮に入れるほどの規模にはなっていないからあまり問題にはされていないのだと思う。とはいえポイント経済のボリュームは兆のレベルに達し、給料が払えるPAYPAYやチャージ可能な電子マネーとの境界がなくなっていくと・・

会計の世界は具体的に決めなければ実務(記帳)ができないからもっと厳密で、現金を通貨(外国通貨含む)+小切手・手形のうち即換金可能なもの+その他の換金可能な証書、と規定し、これに流動性の高い預金を加えたものを現金預金(CASH)と呼んでいる。また国民経済計算ではいろいろなレベルのお金を定義していて、M1,M2,M3なんて名前を付けて集計する。他にもよく経済ニュースに出てくる「ベースマネー」「マネタリーベース」(日銀発行日銀券(紙幣)+貨幣流通高(ここでは硬貨)+日銀当座預金)なんていう分類がある。

経済学では貨幣の流通量や預金利率がマクロ経済に与える影響を重要視するから、その基本となる貨幣の意味が重要だと言われる。でも逆さからみると未だにその出自についてさえ、商品貨幣説(少なくとも出自としては貨幣自体に商品価値があった:⇔金本位)VS 信用貨幣説(貨幣の本質はモノではなく信用)、内生的貨幣供給説Vs外生的供給説なんてのが解消せずに対立している。

財政論議との関係で世界的な経済学説の流れをみると、緊縮的な学説は、ケインズの財政出動推進言説に大きく反対したオーストリア学派やドイツのオルド自由主義というのに行き着く。オーストリア学派の主張は独自の景気循環理論に基づく清算主義と言われる原理で、不況は資本主義の自浄作用なのだから放っておくべき、というもの、その中には金本位主義を強く唱えた人も居た(ミゼー:Mises)。オルド自由主義の方は近年でも欧州経済危機の際、ドイツメルケル政権主導での政策に大きな影響を与えている。逆に積極財政サイドの極北に位置するのが、最近は一部の政治家も信奉している(ように僕には見えます)MMT(モダン・マネタリー・セオリー:Modan Monetary Theory)というもので、信用貨幣説や貨幣外生説を強く支持している。いわく、お金が生まれるのは銀行が貸付をしたとき,システム上のオペレーションが行われた時で、なんら外部からの刺激は要らない。また、彼らに言わせると自分たちの通貨を発行できる国の財政は破綻しない(もちろん一応の条件はある)。なぜならお金を刷れるから。

会計的に記述すればお金は銀行が、

貸付金〇〇円/  預金○○円

という会計処理(仕訳)を行ったときに生まれる(銀行側の処理では預金は負債で、顧客側では資産になる)。

というものだ。 確かこんな仕訳を使って国会で日銀の担当者を詰めている議員がいたような。

一般的な経済初学者が教わる信用創造理論(お金がお金を生む仕組み)では最初に種銭となる預金があるのだけれど、MMTに代表される学説はこれを鼻で笑う(マジ)。先日You Tubeで有名な経済学者がこちらで解説したら、コメント欄に~今更又貸し説で説明されてもなあ~ってMMT論者らしきコメントがあった。

 

~悲劇Part2~

経済は実験室で実験したり、天体望遠鏡で観測することができない。富の蓄積や配分といった数学的な説明を求められるけれどその対象は人の行動だ。

グローバル化は、経済の国境を取り払ったように見えて、実はむしろ複雑にしている。議論の対立の根底には思想の対立があってそれぞれの歴史的な背景も見え隠れする。僕たちは良く欧米と一言で呼ぶけれど、米国とヨーロッパは結構考え方が違ったりもする。会計の世界では世界標準の基準を(国際会計基準:IFRS)広めている真っ最中だけれど、こちらはヨーロッパ主導で、アメリカでは独自の会計基準(USGAAP)を今も使っている。日本はと言えばアメリカの顔色を窺いつつヨーロッパに半身を入れてwみたいな状況だ。

オルド自由主義(オルドは秩序:英語でいうオーダー)の流れをくむドイツの緊縮財政についていえば、ナチス政権の反省という点が非常に大きかったみたいで、財政膨張が国体を危うくするという確固たる信念みたいなものを感じる。

戦後米国の歴史では経済政策をめぐって、名だたるノーベル経済賞受賞学者たちが真っ二つに分かれたこともある。経済政策が上手くいかなかったとき、そのもとになる説が誤っていたというよりも前提となる社会の状況を取り違えたり(最近では英国の在任最短記録を更新した首相とか)、タイミングがずれてしまったりといったほうが正確なのだけれど、一度(GDPとか失業率の)数字で出てしまったダウンサイドは挽回が非常に困難だ。人々の行動(マインドも含めて)に関しては、そもそもの政策アナウンスが勿論重要なのだけど、国民性とかその国民性に訴えかける第4の権力:マスメディアの影響が結構大きかったりする。グローバル化とソーシャルメディアの普及は人々の期待形成の点でも事をややこしくする。

 

前出日本国の貸借対照表の話に戻って、もし日銀を連結対象とすると、相殺された国債分の負債はどこに行ってしまうのだろうか?実は日銀が国債買入時に発行した日銀券や日銀に預けられている預金が連結B/Sの負債の部に計上されることになる。つまり発行された「通貨」が日本のB/Sの負債になる(会計士的にはこう考えるしかない)。もしNHKがこんなところまで解説したら国民はかえって混乱するから気を利かせてそこまで言わないのかなああ・・ もっと言うと、日銀は上場しているのだけど会計基準は他の上場会社とは違う。日銀の会計規程は「企業会計を尊重してw」という表現になっていて、有価証券の強制評価減(いわゆる減損)は行うものの、対象に国債は入らない。ニューヨークに上場しているならともかく、そもそも自分が発行した通貨で評価するわけだから、国債の評価減とか言われるとなんとも反応に困ってしまう。

経済政策にしても、ワイドショーやニュースで詳細に説明するのは無理だから、「イギリスの財政出動が大変なことになってポンドが暴落しました。日本にとっては明日は我が身かもしれません」なんてわかりやすそうな単純な話で視聴者は納得してしまう。でも実はこれが結構ポイントで、メディアの報道自体が経済政策の前提(国民の反応)に大きな影響を与えてしまうかもしれない。

 

 

~経済における不確実性定理?~

カール・ポランニーという経済学者は著書「経済の文明史」でこんなことを言った。

「貨幣は不完全にしか統一されていない体系であって、そこに単一の目的を探そうとしても、袋小路には入りこむだけであろう。貨幣の「本性と本質」を確定しようとする多くの試みが無益に終わったのも、このためである。」

僕自身は経済世界における貨幣って、自然界における光のようなものかもしれないと考えている。光はあらゆる物理法則の根源的な存在であるにもかかわらず、つかみどころがない。観測者によってある時は波として、ある時は粒子として振る舞う。Moneyもまた、観測する人によってさまざまな姿に映る。想像するに、はるか昔のある日一人の偉大な天才がお金を発明明したっていうわけじゃあないだろう。多くの実務慣行や思考錯誤を重ね、未だ作成中の発明っていう感じだ。僕はポランニーの言葉をそんな風に受け取った。

そうして光が影を生むように、Moneyもまた、貨幣経済に時折深い影を落とす。

おりしもネット番組ではFTXの破綻で数億円の財産を失った青年が、半ば絶望的になりながら、それでも再起を誓うのだった。

 

 <おまけ>

本文中「マネタリーべース」は日銀の使う説明。ここでは「貨幣」を「硬貨」の意味で使っている。似たような単語が微妙に意味を変えて飛び交うのもこの手の話が未だこじれている表れかなあとも思う次第。

 

 

 

 

 

 

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