社会

双曲

~明日の100円と今日の100円を比べる人たち~

 

 

経済学や会計学ではよく、割引とか割引率という用語を使う。

もちろんバーゲンセールの割引と同じ使い方もあるんだけれど、「将来の価値を現在の価値に割引く」というように、異なった時点の価値を比較するために使うことが断然多い。簡単に言うと。将来の○○円は今の価値に直すと何円なのか、っていうことだ。

経済の場面にはいろいろな利率が存在するから割引に使う率もいろいろで、価値算定の目的に応じて様々な割引率が用いられる。

ビジネスや会計で使われる場合は、観測できる実際の率(債券のクーポンや収益率)があるから、どの観測可能な(あるいは算定可能な)割引率を用いるかっていう話になるんだけれど、行動経済学の方ではもう一つ、人々がどう感じるかっていう議論がされていて、この、いわば人の判断に際しての主観的な割引率が結構不思議な話になっている。

ある人が、今のある価値と将来のある価値を比べて、「どのくらい将来の価値を低めに感じるか」がその人の主観的割引率なのだけど、例えば、彼or彼女がこんな割引観を持っているとしよう。

<Aさんの割引観>

{1年後の100円は今の95円と同じ価値に感じている。

また2年後の100円は、1年後の95円、そして、現在の90.25円と同じ価値だと感じている。}

Aさんにとっての主観的な割引率は、年5%で一定だ(100×95%=95、95×95%=90.25)。

このような割引率の態様を「指数的」な割引率と呼ぶこともある。

伝統的経済学は(会計学は基本的に今でも)こういった、ある意味合理的だけれど単純な人をプレーヤーと想定して議論をしてきた。ところが近年、ある人々は価値の割引についてちょっと変わった考え方(それに伴う行動も)を持っているらしいことが分かってきた。

極端な数字にしてみると、こんな人々だ

<Bさんの割引観>

{1か月後の100円  今の 50円と同じぐらいの価値

1年後の100円    今の45円と同じ

2年後の100円    今の44円と同じ}

これを現在のほうから追っていくと、

名目的価値が同じ物では、今日から1か月後の主観的な価値は半分になる(割引率50%、年率にすると600%!)、その後11ケ月でさらに10%減少(年率換算の割引率は10.9%ぐらい)、その後の1年の価値減少はぐっと小さくなって年率2.2%になる。

Bさんの場合、足元の主観的割引率がすごく大きくて、遠い将来に行くにつれ、(割引率が)小さくなっている。簡単な言葉で言いかえると近い将来については「厳しく」、遠い将来についてはかなり「甘い」。

こういう人の割引率を時間軸に対してグラフにすると、Y=a/x で表される双曲線の形になることから、「双曲割引」と呼んだりする。

こういう主観的割引率の態様を持つ人にとっては、なんといっても足元の価値(快楽と言ってもいい)が重要になる、なぜなら明日になったら価値がすごく減少してしまうから。一方遠い将来のことは、かなりどうでもいいと感じている。

良く例として引き合いに出されるのが、目の前のごちそうを我慢できず、1年後目標のダイエットが(実は結構重要でも)達成できない人なんかだけれど、こんな軽い(ダイエットに苦しんでいる人には申し訳ないですが)例じゃなくて、人類の行く末を左右するような問題でもこの「主観的割引率」の態様が影響を受ける。

 

~生命の割引率~

 

普通割引率では、金額的な価値と時間概念との相関が問題にされるんだけれど、ダイエットの例でも分かる通り、金額以外でも「価値」であれば同じような考え方ができる。時間軸で考えれば、「自分が生きている間」の割引率は結構高くても、自分がいない遠い未来の割引率は限りなく0に近い人もそこそこいるだろう。それが人類の存続にかかわることであっても、、だ。

人類が抱えているいくつかの問題、地球温暖化とか人口動態の議論、SGDsなんかに対する人々の意識の違いは、これで説明できる部分もある。つまり、足元やすぐ先の命や利益にはそれなりの重きをおく一方で、自分が(多分)死んだ後の未来の人類の運命なんてたいして重要じゃあないという立場の人と、遠い未来の子孫の行く末についても重要視する人々。

こんな風に書くと、双曲性を持つ方をディスってるように見えるかもしれないけれど、こと命が関わってくると問題はそう簡単にはいかない。評価の要素に、「正義」の概念が加わってくるからだ。例えば、最近ではマイケル・サンデルの「白熱教室」なんかで有名になった例のトロッコ問題。多数の命を助けるために少数を犠牲にすることは正義なのか?ってやつ。

あくまで個人的な感想だけれど、人類の課題を議論する場合、この「正義」ってやつが強調され過ぎて、指数的割引どころか逆双曲性の割引観をもっているんじゃないかっていう人もいると思う。現代の人を犠牲にしても未来の人類を助けなきゃって。

もうひとつ忘れちゃいけないのは、重要な評価に際して、人間は合理的どころかほんのちょっとのノイズにも左右されるらしいってことだ(ダニエル・カーネマン「ノイズ」とか)。

 

~色々な割引~

 

経済の割引率では、時間軸との関連が問題にされるけれど、それ以外のパラメーター、例えば物理的・心理的な距離なんかでも、割引率の双曲性と同様の状況が現れてくる場合があるだろう。遠い国の戦争で多数の命が失われているのをどれだけ重要な問題ととらえるか。自分の身内やグループ、家族に関する問題とそれ以外とか実例はいくらでもある。思うにこっちの方が双曲性が一般的にみられるんじゃあないかな。そしてその性質がプロパガンダに使われるわけ。

メディアやインフルエンサーによって心理的な距離が近づけられれば、普通の人は割引率の双曲性を如何なく発揮してしまう。ここのところ世界の情勢が混沌として、きつい実例がたくさん出てきているのだけれど、僕らは双曲性に惑わされずにいられるだろうか?

まあ合理的なら良いって話でもないと思うのだけれど。

 

 

 

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