空間には主として円形が数多く配置されている
配置されているにもかかわらず
その場所の中央には 斜めに居座った灰色の
四角いテーブルに それらは置かれているために
いくつかの円はことさらに 自分達の優位性を主張しない
ことさらに主張しないが 光景を見た者は
恰も背景となるマホガニーの四角(それもslanted)を
主役として記憶することはない
複数の円はつまり
テーブルの直角に遠すぎないところに
自らの弧で 矩形の苦しさを少しでも和らげることを想い
カナディアンパイプの ボウルトップのような厚かましさは持たぬ
彼らはそんな人々だったと
言われてみたい時があった